1986-03-06 第104回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
ついては政府において直ちにその誤りを正して、須く建國紀念日の祝典を國及び政府が主催して、厳粛盛大に執り行ひ、あまねく國民に呼びかけて参加を促し、以って悠久なる神武天皇建國の歴史を顧み國民精神の作興と、教育の振興に貸すべきである。 よつて政府は速かに建國紀念日の式典等を國及び政府主催によって執行するために必要な諸般の措置を講ずべきである。 右につき政府の見解をただしたい。 以上質問する。
ついては政府において直ちにその誤りを正して、須く建國紀念日の祝典を國及び政府が主催して、厳粛盛大に執り行ひ、あまねく國民に呼びかけて参加を促し、以って悠久なる神武天皇建國の歴史を顧み國民精神の作興と、教育の振興に貸すべきである。 よつて政府は速かに建國紀念日の式典等を國及び政府主催によって執行するために必要な諸般の措置を講ずべきである。 右につき政府の見解をただしたい。 以上質問する。
何か堅実な気持じやなしに、ふとした僥倖を頼みにして、何か一儲けしよう、一攫千金の夢を見る、これは人間の心理であり、尚終戰後のような國民精神の動揺いたした場合におきましては、これはいずこの國でも起つていることであります。
これが一切先にやつたんだからお前たち金があつたはずだどいつて顧みられぬということになりますると、將來つくり遅れたものを、金をやつてつくらせてやるよりも、全体の結果といたしましては、國民精神に及ぼすとこるあるいは國民の政治に信頼するかいなかの度合いを深くするか、しからざるか、かような観点から考えてみますると、むしろ今までつくつたものを放擲しますことに非常に影響が多くて得るところが少ないのであります。
スポーツの振興が、最近著く低下して参りました我が國民体位の回復向上のために、又健全にして明朗豁達な國民精神の振興のために、極めて重要なことでありますことは、政府としても十分に承知しておりますところであります。又先頃衆議院におきましても本日と同じ趣旨の御決議もありましたのであります。
私はあれを見て、日本の再建はあの馬の精神で行くべきではないか、かようにさへ考えまして、國営で競馬をするという以上は、ああいう勇壯活発なる、國民精神を作興せしめ、國家再建に精神的な非常な活力を與えるというような、ああいうものをなぜ國営の種目にしておかないのか、私ははなはだ遺憾に存じておるのであります。
國民精神を振作するというような問題は、一つの便法でなしに、総合的な、あらゆる角度から集まりまして、値義を高揚しなければならぬと思うのでありまして、文教を通じてやる場合もあれば、宗教を通じてやる場合もあり、また経済問題を解決することによつてやる場合もあります。
ついては、眞の平和文化日本をつくり上げるために、新日本精神を確立して全國に普及徹底せしめ、各地に國民精神教育機関を設け、その委員には宗教的信念の強い人格者を選任する等の新日本精神教育を実施されたい、こういう趣旨の請願でございます。私どもも現下の実情にかんがみまして、きわめて同感の点が多いのでありまするが、何とぞ御採択くださいますようお願いいたします。
○佐藤(重)委員 一應了承いたしましたが、請願書の趣旨の中に、特に國民精神の教育機関を設け、その委員には宗教的信念の強い人格者を選任するような方法、こう言つてあるのでありますが、ただ放つておいて自発的にまつというようなことでなしに、文部当局としては何かそこに方法がありはしないか。
しかしながら、この態度こそ、一政党の面子をつくろわんがために日本民族の品位と名挙を犠牲にする態度であつて、敗戰以來全國民が営々として築いた國際信用回復への誠意を冒涜し、民族自決、民主主義の完成を切望する國民精神を蹂躙する行為といわなければならないのであります。
政府みずから法を破るならば下これに做う、恐るべき風潮を國民精神の上にかもすことを私は虞れるのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)例を料飲店の課税に取つただけでありまして、私の質問は、政府の遵法精神のあり方如何をお尋ねいたすのであります。
終戰以來、日本民主化の発展につれて、制度や機構の面では確かに著しい進歩の跡が認められるのでありますが、同時にそれに伴い、且つそれにふさわしい國民精神の轉換が行われたかといえば、未だ必ずしも十分と申せないのであります。
と思いますのは、然らば今より十年前、二十年前の朝日新聞を調べて見ましたならば、あの教育勅語が同民精神を通して良かつたという礼讃は沢山私はあると思います。そんならば朝日新聞にこう書いてあるからこれがいいと羽仁君が言うかと私は聞いて見たいのであります。だから結局新聞の問題ではないということが一つ、もう一つは例えば三つか四つというと大変例がおかしいのですが、親が子供に仮に六つの時分に風邪を引いた。
というのは、先ほど警備部長も、警察官の士氣が高揚されることが欠けておつたということをしきりに言われますけれども、一つは警察の精神だけでなしに、國民精神が高揚されておらない、民族全体が非常に萎靡沈滞をして、気絶の状態にある。ひとりこういう民族の中の警察精神が高揚されるはずがない。
と言われたのでありまするが、つらつら今日の世相を見ますると、未曾有の敗戦に引続く連合軍の占領という、國民の曾て予期せざる精神的の衝撃によりまして、一時の放心虚脱状態は止むを得なかつたとは申せ、終戦後満三年を迎えんとする今日、而も連合軍最高司令部においてもあらゆる方面に亘り、自力更生による日本改造再建の設計と、これが実行に関する援助を與えられつつあるにも拘わらず、國民精神は以前として低調を免れず、すでに
只今國民精神の作興について極めて眞摯なる御意見を伺いました。敗戦以來我が國の道義の頽廃につきましては、我々國民と共に深く遺憾としておるものでありまして、施政の演説においてもこの点について申述べた通り、無論國民生活の窮乏したる今日、生活の困難よりする道義の頽廃があり得ることは率直にこれを認めなければならないと思います。
そしてさらにその中において、生産に、財政なり金融なりを傾斜さしていく、そして一般の他の者は多少苦しくても、全般が耐乏して、この危機を乗り切つていくのだという國民精神のそういつた方面における盛上りを期待してやつていこう、こう思つております。
政治が明朗でなければ、片山首相が口ぐせのように語られる國民精神の作興は、断じて期しがたいのであります。この見地に立つて私は、平野農相の帰京を待たず、一日一刻を爭つて農相の辞職を強要せねばならなかつたという政治上の理由を、明確率直に國民の前に弁明せられることは、民主政治のチャンピオンをもつて任ずる片山総理が進んでなすべき義務であると信ずるのであります。
たとえば川の水が流れても川が流れないのと同じで、わが國の國体は変つてないのだ、國民精神の核心は変つてない。ゆえに國体に変更なし、このあこがれ國体観が、とにもかくにも昨年の國会において認められた。そういたしますと天皇の尊厳ということにも何ら変りがない。一体この新憲法の中核をなすところの個人の尊厳、國民個人の尊厳は、精神的にも法的にも尊重を要すると憲法に規定してある。
それははなはだ遺憾でありまして、これは國民精神運動とも關係するのでありますが、國民の心構えがすつかり變らぬと、いろいろいい制度をつくつても、その制度が生きていかぬのではないかと思つておるのであります。これはやや餘談にわたりましたが、そういうような今日の幼稚園のある部分において、はなはだ實情に即しないものがあるのであります。
國民精神の指導を文部省という力の弱い一省に任せて置いて新らしい政治ができる筈がない。政府は須らく私の只今申した方針で思い切つた新らしい行政機構を立案すべきである。各省の配置その他の細目については、片山総理大臣の徳義的政治の理想に一任したい。
(拍手) 終戰後、國民精神の頽廃、遵法精神の欠如については、もはや周知の事実であつて、片山首相は組閣以来この点を慨歎せられて、一大國民運動を展開せられようとしているのであります。
從つて御趣旨にありましたが、國民精神の昂揚の問題について、國のために戰つた方々に對しては、尊敬の念はこれは飽くまで持つべきである、但しこれは侵略戰争を獎勵するという誤解のないようにしなければならんと思います。
それは忠靈塔、これは神として尊敬すべき対象として殘すかどうかという問題でなしに、今までは國民精神の華として、尊敬の的として崇められておつたのを、戰争が濟んだあとは急にこれを全然顧みないで、むしろ逆に遺骨を踏みしだいて、新京のごときは、遺骨はその邊にばらばらとなつて、犬が食おうと人が踏もうと、味噌も糞も一緒になつてしまつたのであります。そういうふうな處置に終つたわけです。